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ゆずみつサワー

今日も、お酒片手に更新中…

担降りについてのあれこれ

昨今、私のまわりで「流行語なんじゃねーか!?」と言うほど聞く言葉が

 

担降り

 

ジャニヲタ用語でございますが、

「今応援しているひとのファンを辞め、別のひとのファンになること」

まぁ、簡単に言うと鞍替えとかそんなんです。



あまりにもよく聞く言葉で、まわりで悩んでいるひとチラホラなんで

「私の場合の担降り」

なんぞを語りたい気分なので、語ります。

(ごめんなさい。ただ書きたいだけです。そして長いです。ごめんなさい。



 

【 私の現状 】



1999年9月15日~2012年9月29日まで、嵐の松本潤担でした。

2010年2月7日から今現在、関ジャニ∞村上信五担です。

まぁ、どこをどー見ても被りがあるのですがそれは追々…。








【嵐・松本潤くんとの出会い】

 

1999年9月、嵐が華々しく、ハワイの船上にてデビュー記者会見。

当時、私小学校5年生。誕生日が来る前だったので、10歳。

 

ジャニーズJr.って言う存在は知っていました。

「ジャニーズJr.で一番って言うなら、松本潤くん♥」

と思ってはいましたが、小学生ながらに

「Jr.っていつ辞めるかわかんないから、怖すぎてファンになれん。」

と思っていました。

 

そんなときに嵐デビュー!

「デビューしたなら辞めるこたぁ無いだろ!」

と嵐ファンに。

 

今でも忘れませんが、学校に向かう登校班の

集合時間が7時35分。その日は早めに準備ができて、しばらく

めざましテレビ』を見てました。

芸能ニュースのコーナーになると、そこには松本潤様が!!

嵐結成とデビューを告げておられるじゃーありませんか!!

 

学校に着くなり、二宮くんが好きだと言っていた友達を引き止め

「ねぇ!嵐デビューって聞いた!?」

と。

 

この日から私の嵐ファンの日々が始まりました。

そこから10ン年嵐追いかけることになるとは思いませんでしたが。




学校近くの(今は無き)CDショップに『A・RA・SHI』を買いに行き、

握り締めた6cmCD。

 

厳しかった我が家では誰かのファンになるなんて、御法度。

コンサート行くなんてもっと御法度。

 

夜ご飯時に、「嵐のファンクラブに入らせてください。お願いします。」

と父に頼み込んだのが小学校6年生のときだったかしら。

 

「コンサートは一生に1回だからな!今回行かせたらもう二度と行かせんぞ!!」

と言われ申し込み、参加させてもらった嵐初の全国ツアー。

2001年嵐が春の嵐を呼ぶコンサート。



まぁ、それくらいに、幼いなりに、本気で嵐を追いかけていたんです。

嵐以外、潤くん以外見えなかったんです。







関ジャニ∞村上信五くんとの出会い】

 

現担当さまであります、村上くんとの出会いは…正直覚えていなくてですね。

たぶん…私が小学生のときには出会ってたような気がします。

 

Kinkiの光一くんが好きだったので、ファン辞めたあとも『ピカイチ』を

見ていたんです。それに村上くん出てたので…知ってるはずなんです。

あの車から降りてくるモノクロオープニング覚えてますし。

ギターのレッスンされてたのも覚えているので・・・・・ただそこはね。

光一くん目当てで見てたのでうろ覚え。

 

実際はたぶん、嵐ファンになった後にDVD見たり、番組見たりして

知ったんだと思います。三馬鹿+亮ちゃん、丸ちゃん、ヤスくんは

小学生のときには認知していたので。(と言うか、潤くんに私が

キャーキャー言い始めたときに、友達がすばるくんにキャーキャー

言い始めたので。そしたら、おのずと横山くん村上くん達も知る訳で。)

 

これは、あまりひとには言っていないのですが、実は

中学生の時に一度、村上くんを副担としていた時期があったのですが、

副担とは名ばかりの、「まぁー、好きだわー。」くらいでした。

 

そのときは、まじまじと村上くんと言う存在を知り、

 

「世の中に、こんなにも私のタイプのひとがいるんだ!!!」

 

と、なかなかの衝撃を受けました。

外見のタイプさだけで言ったら、潤くんと同等・・・くらいの好みでしたので。

ただ、そこは潤くんへの愛がね、ありましたので副担なんて言ってたのも

数ヶ月。まぁ、そんなもんです。中学生時代の私なんて。







 

【潤くんと信五さん、掛け持ちのきっかけ】



2007年にあった、関ジャニ∞47都道府県ツアー。

大倉くん担だった幼馴染に、

「私の友達が島根公演行くって言ってるんだけどさ、

 車にあと2人乗れるから一緒行かん?

 チケット無いから雰囲気味わいに行くだけなんだけど。」

と誘われ、すっぴんでカバンの中には財布と携帯と言う

なんとも「ちょいとそこのコンビニまで。」な感覚で島根公演の会場へ。

 

そこで、幼馴染が「チケット余ってたら譲ってください」の紙を

カバンに貼り付けていたら、開演1時間前に

「よかったらもらってください!」2枚のチケットを頂きました。

 

いきなりの関ジャニ∞コンサート参加決定。

まさか観ることになるなんて思っていなかったので

チケット代、友達に借りました。

 

うちわもペンライトも持ってきていなかったので、

友達の持ってきていた「大倉忠義」うちわの「忠義」を持ったなぁ。

 

この公演で覚えているのは、錦戸くんがソロ曲で

『Heavenly Psycho』を歌っていたのと、客席を歩いた丸山くんの

後ろ姿だけ。

 

友人いわく、「あなた、「あれヒナちゃん!」って言いながら

大倉くん見てたが!」とw まーそんなくらいだったんですねー。

 

だって、開演前に特攻服だらけだった会場にビビって

「え?やっぱりエイトのファンってヤンキーだらけなの!?」

と、とんだ勘違いをし、公演中も盛り上がりすぎるほどに

盛り上がっている会場に

「落ち着かない・・・私はやっぱり嵐担だ。」

と思ったくらいだったんだもの。



そのコンサートから数週間。

島根公演に一緒させてもらったひとたちと、カラオケをご一緒

したときのこと。

友達が歌い始めたうたに大変興味が湧きまして。

「誰の歌?」

って聞いたら

「安田くんのソロ曲だよ。」

と。

『わたし鏡』にビビビッ!と惚れたんです。

 

我が父ちゃんが長渕剛さんファンで、ギターを弾くんだけど
その影響でアコースティックギターの音色が強い曲は

好きになる傾向にあるんです。

おふくろの味ならぬ、親父の音ってところでしょうか。



それから半年、『わたし鏡』を聴きまくり、

安田章大」でネット検索してヒットした『アイライロ』を聴き、

幼馴染に「関ジャニ∞が気になる。」と話したところ、

「これを見て!!」とコンサートDVDをどばっ!と借りる。

それを見て、エイトレンジャーのおもしろさにだだハマり。

 

「生の彼を見てみたい。」と思い、ジャニーズ公式サイトを見ると

村上くんのひとり舞台『If or…Ⅱ』の一般発売が明記されていました。

 

ザ少年倶楽部プレミアム』で『If or・・・』の映像を観ていたので、

「あの舞台の第二弾か!」と思い、一般発売の日に電話。

チケットを手にし、会場に向かったのが2010年2月6日。

母に「ヒナちゃんでしょ!?ヒナちゃんの舞台観に行くの?

高いお金かけて!?あんたヒナちゃん好きだったっけ?」

と言われたりもしたけどね。

 

公演の日は、ひとり参加だったので、とにかくドキドキでした。

バレる訳無いのに「嵐ファンだってバレたらどうしよう~。」

って思ったりもしてね。

 

『If or・・・Ⅱ』を観ながら、「このひとのファンになる。」って

「このひとを応援したい。」って思いました。

ひとりでひとつの公演と言う作品をやってのける姿に惚れ、

頭のてっぺんが黒くプリンみたいになっていたのを見て

「アイドルなんだから染め直しなよー!」

と思いつつもときめかされて。

ラジオのDJ中の後ろ髪をちょこいと結んでたのにもときめいたなぁー。

 

それからと言うものは、松本潤くんファンと村上信五さんファンと言う

二足のわらじを履いておりました。

 








【担降り】



村上さんファンになってからと言うもの、とにもかくにも

村上さんにときめく日々。

 

雑誌を見てはときめき、声を聴いてはときめき、

挙句の果てには「村上」「信五」と言う名前を聞くだけでも

どきどきしておりました。

 

恋した初っ端は、ただただハマるだけ・・・。

 

次第に嵐の番組を見なくなり、録画しなくなり。

CD買わない、DVDも買わない。

 

どこがファンなんですか!?

 

なところまでなっていましたが、

「一生嵐ファン! 一生松本潤担当!!」

と思い、まわりがどれだけ担降りをしても

「私が担降り?ナイナイ(ヾノ´°ω°)アリエナイ」

と本気思っておりましたので、そこは意地でした。



そんな私の中にあったひとつの思い。

「うちわは、担当のひとのしか持たない」

と言う、勝手な自分の中での決まり。



2011年末に行われた関ジャニ∞ 5大ドームツアー

EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません

京セラドーム大阪公演に参加させてもらった数日後、同じ

京セラドームで行われた嵐ライブツアーBeautiful Worldに

参加させて頂きました。

 

当時、エイトがツアー終わりの年始に大阪にてお休みを

もらうのが恒例となっておりまして、

「もしかするとエイトのメンバーが嵐のコンサート観に来るかも?」

と思った私は・・・・・嵐のコンサートに・・・村上くんのうちわを

持って行ってしまいました。

「もし村上くんが出てきたら持とう。」

と思ってしまったんです。ずーっと応援してきた潤くんがそこにいるのに。

 

まぁ、村上くんが出てくることは無く、うちわを持つことも無かったのですが。

ただ、その公演で目の前にいる潤くんや嵐にときめくことができなくて。

ずっと応援してきたひと以外の、それも他グループのひとのうちわを

会場に持ち込んでしまったこと、目の前にいる本人にときめけなかったことで

「あぁ、この日の公演が私の卒業公演だな。」

と思いました。そんな思いの中、見ていた公演でした。



それから半年間は、本当に宙ぶらりんで。

あれだけ村上くんに気持ちが傾いていることを知ったのに、

それでもただの意地だけで「嵐ファンを辞める」と言えないままで。

自分の気持ちにも踏ん切りをつけれませんでした。



そんなこんなで迎えた8EST長居公演。台風接近により中止になった2日目公演。

それにより、いつにも増して感動的だった長居公演。そして私の誕生日当日。

その翌日に収録された、村上くん出演(当時)の番組、『モモコのOH!ソレ!み~よ!』

の番組観覧に参加させてもらったときに、収録後、観覧者席の前にまで来て

「(昨日の公演中止になって)ごめんなぁ~。」と話してくれる村上くんの姿を見て、

「あぁ、もうだめだ。心持ってかれてる。決心するなら今だ。」

と思い、2012年10月1日、帰宅途中の岡山駅

「私は2012年9月29日の誕生日を持って、担降りしました。」

と、当時更新していたmixiに書きました。

(10月1日じゃなくて、9月29日にしたのはどうしても誕生日にしたかったらしいw)



2年間うだうだ悩んで、やっと決心できた日でした。






 

【後記】



今となっては遠い昔のことで、すっかり村上担が板についてきたと

勝手に自負しているけども、当時は本当にものすごく悩みました。

 

担降りしたことによって、嵐担友達とは距離を置いてしまったし、

だけどもエイトファンの友達と出会えました。

 

10代の私はまるっと潤くんだったけど、20代の私はまるっと

村上くんです。



担降り時に悩むのは当たり前だと思います。だって、今の今まで

必死で追いかけていたひとを追うことをやめて、新たなひとのところに

行くのですから。乙女心は複雑なんです。




村上くんだけを追いかけると決めたあの日、妙に清々しい気持ちに

なったのを覚えています。私のまわりで悩んでいるひとたちも、

いつかそんな気持ちになれますように。